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坂口安吾「堕落論」と現代社会

こんにちは。
海藤です。


今回は人口に膾炙しているところで、坂口安吾「堕落論」について書かせていただきたいと思います。この舌鋒鋭い評論が昭和二十一年に「新潮」に発表され、敗戦後の大きな価値観の転換と方向性についての混迷の中にあった日本人の心に大きく影響を与えたことは周知の通りです。安吾はこの評論と小説「白痴」によって戦後文壇の寵児となりました。そして、彼の思想の核の部分を語る時によく引き合いに出されるのが、他ならぬこの「堕落論」でしょう。その中で安吾は日本古来から続いていた旧習、武士道や封建的な女性観などについて、否定はしないが人間的なものではないと述べています。そうした道徳観が一種の幻影であることを、戦後の秩序の混乱や現前している生々しい人間の生態と照らし合わせて論じていくところが、この作品の画期的なところであり、当時としては他に類型を持たなかった所以でしょう。「生きよ堕ちよ」という言葉は、まさに呪詛さながらの人間へのエールとでもいえそうです。


戦争の渦中にあった頃の、張りつめた状況下での弛緩や運命に甘んじる美しさといったものは本来の人間の姿ではなく、戦争が終わった後で旧道徳や旧弊な人間観が馬脚を現してからのリアリズムこそが本来的なものであると述べられているところが肝心です。そして、「人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない」という安吾の言葉は、人間が苦しみや葛藤のプロセスの中で様々な防御を暴かれていき、生き延びるために堕ちていった先に、光芒などという生易しいものではない、もっと生々しく充溢した救いがあるのだということを端的に語ってくれているようです。


安吾のいう「堕落」という観念は、オスカー・ワイルドやエドガー・アラン・ポーなどの作品の「美」に追従した上での堕落というものとは趣を異にしています。ワイルドやポーの標榜したものはいってみれば審美的な鎧をまとって堕ちていく、といったものでしたが、安吾はもっと人間としての泥臭く苛烈な堕落を主張しており、そこには美という甘ったるいものの介在するところのない「厳しさと同義の救い」への希求が感じられます。このことはニーチェの「超人」思想とも違い、何かを越境した存在になるためのものでもなく、安吾の人間についての思想の一筋縄ではいかないところを思わせるのです。別次元へ行くための思想ではなく、ひたすら「生の人間」を貫徹するための思想とでもいいましょうか。


安吾と同じ作家畑の人物のスタンスを見ていくと、堕ちていく中で「超俗」を希求していたような葛西善蔵や、戦後に放埒と破滅の体現者となって死んでいった太宰治や織田作之助や、「聖」と「俗」の間を揺れ動いた果てに虚栄の世界を俗物と断じて隠遁した相馬御風など、いろいろとありますが、それらが「堕落論」の思想と決定的に違うところは、どこか彼らのスタンスには人生に対する「甘え」や「懐き」といったものがあり、堕ちきることのできないものが含まれていたところでしょう。安吾のいう「堕ちる」ということが人間らしさを貫く思想であるのならば、尾崎放哉や種田山頭火などの世捨て人となった俳人も、人間や人生というものと「堕ちきる」まで戦うことから下りて、「自己」と睦み合うことを選んだ人たちといえるのかも知れません。


昭和三十年に坂口安吾が没してから、日本はめざましい経済発展を遂げていきました。豊かな時代が続く中で新しいムーブメントやトレンドが出ては消えていき、安吾の思想が革新的であったように、新しい思想や価値観も時代の波に合わせて出現してきました。柄谷行人や浅田彰の新思想や一時期のニューアカデミズム、村上春樹が平成文学のカリスマとなったこと、Jポップやアイドル文化の様相の変化、インターネットやスマホの普及など枚挙に暇がありません。しかし、そうした発展が九十年代後半や二十一世紀になったばかりの頃まではある種の「洗練」であり進化であったのが、次第に何か食傷状態のようなものを呈してきたように見えるのはあながち錯覚でもないでしょう。価値観が洗練されていく時期から移り変わり、リーマンショックの後に豊かさと混迷の併存している現代では、価値観が氾濫しすぎて世の中が軸を失っているように感じられるのです。多様な側面があるのでしょうが、SNSなどのツールも社会の全体像が朧気になっている中で「自己」を見つけ出す一助ともなっているのでしょう。そのようなSNSなどで社会とは別個に人間のリアルな生態が浮き彫りになる時代に、生々しく生きることを提唱した安吾の思想が新たな意味を帯びてくるのではないでしょうか。現代社会における「自己」の追求と社会規範との相克、そして「個」と社会との利害関係のせめぎ合い、その中でとことん「生」と戦った果てにあるものとは何でしょうか。やはりそこには敗戦後の焼け跡の中のように、泥臭いけれども真に純化された人間性があり、光明とは違う生々しい救いと安吾の「生きよ堕ちよ」という言葉があるように思うのです。


坂口安吾は現代でも人気作家なので専門書も多い方で、知名度の高い作品の初版本などは買取額が高いです。「堕落論」は新潮文庫などで手軽に入手できますので、興味のある方は一読すると面白いと思います。

2019年1月29日 本買取ダイアリー [RSS][XML]


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