大江健三郎「死者の奢り」における「虚無」の問題
こんにちは。
海藤です。
今回は大江健三郎の実質的なデビュー作であり、芥川賞候補作にもなった、「死者の奢り」について書かせていただきたいと思います。この小説の内容を要約すると、大学病院の解剖用死体を水槽から運搬するアルバイトに申し込んだ大学生の「僕」が、中絶費用を稼ぐ目的の女子学生と関わりながら作業を進めるのですが、その仕事に手違いがあったことが分かり、死体は全て処分されるということになり、それまでのことに対して徒労感を感じる、という内容です。
大江健三郎というと、特にその初期作品においては実存主義的な色合いが濃いのですが、見方によっては日本文学の伝統的な流れをくむ一種のシニシズムのようにも感じられます。この「死者の奢り」からも、どこか現代社会にまで連綿と続く日本的思惟の系譜が見受けられ、フランス文学にばかりその淵源を求めると作中のリアリズムを見失ってしまうような思いもします。何か激したようなストーリー展開があるというのでもなく、虚無的で粘着質な表現で事実が描かれていくことからは、日本流の自然主義文学の素地が感じられます。それは大江が意図したことではないのでしょうが、徳田秋声「黴」「あらくれ」の写実描写の持つ人間の内在的不安というものが、この作品にもどこか看取できるのです。そのように思弁的なものを内的には凝然と、外的には冷然と見すくめる文化は極めて日本的なものであり、「死者の奢り」にはそうしたものに哲学的営為を加味して生み出されたような感触があります。
作中では「死」の観念というものが水槽の中の死体を通して即物的なもののように描かれていますが、そのような対象に対する虚無という感覚も、どこか精神構造の点において日本的、という思いがします。日本人の認知や行動が「甘え」というものに左右されやすいということは精神分析において指摘されていましたが、主人公の「僕」に顕在化している「虚無」や即物的な感覚は、心理学でいうところの愛着理論や対象喪失の問題が複雑に絡み合っているのかも知れません。「僕」の「死」に対する虚無も希望を持っていないという虚無も、フロイトが対象喪失において提唱した「喪の作業」を迂回した形で象徴している可能性があります。現代に比して特に「早熟」を求められた時代がバックボーンにあったからこそ、安息の場を定着させるような十分なモラトリアムがなく、愛着理論の観点において固着の体験が乏しかったということが考えられます。しかし、こうした対象喪失に由来する無価値感を、昭和のパラダイムといってしまうと安易に過ぎる感があります。大江健三郎の初期作品における「喪失」のシニシズムが、現代社会における自我のペシミズムに変容したと考えてみることはどうでしょうか。戦後のシニシズムによる方法論は、決して現代社会の「自意識」に対する反証ではありません。その間には日本人の意識の血脈があり、対象喪失による自我の反復(一種の喪の作業)を反映するようなものがあると思います。
大江健三郎「死者の奢り」が照射する日本人的な対象との関係、そしてそこから浮き彫りになる虚無の問題を考えた時に、ハイデガーが自らの存在論において述べたことが思われるのは少し不思議ではあります。しかし作中の「僕」のように存在者が志向を喪失してある種の「存在忘却」の状態にある時に、対象との関係をしっかりと吟味して方向性を探索するような「時間性」が肝要であるということは、「死者の奢り」の世界観からずっと日本人の抱えている命題ではないでしょうか。
先に述べた愛着理論の点において、日本人はトラディショナルな価値体系に現代に至るまで拘束されている面があり、日本人に内在する対象に対する不安は、現存在の渦中において実存論的になり切れないという問題なのかも知れません。そのように「時間性」や「実存論的」ということと十分に向き合って、それを溶融させるだけの精神の土壌が整いにくい日本において、現代社会には「愛着」が「虚無」に変節する刹那主義的傾向があるように思うのです。そして、「死者の奢り」の中の、長時間死体と向き合った虚無的な感受性とその後の徒労感と億劫さからは、日本の土壌が愛着の対象に安住していられない効率化の道を歩んできたことを考えさせられます。
高度経済成長期、バブル期、失われた十年、リーマンショックと経てきた目まぐるしい時代の流れの中で、現存在の中で安住する「対象」についての日本人の不充足は、若き日の大江健三郎が披瀝した観念から、更に打開の難しい固着概念へと移行しつつあるのかも知れません。そうした安住の地のない「虚無」の問題にとって、ハイデガーの述べた「時間性」がひとつのヒントであり羅針盤であるのは確かです。しかし、その土壌が整うまでには時間的にまだ少し距離がありそうです。
大江健三郎「死者の奢り」は新潮文庫で読むことができます。昭和三十三年に文芸春秋新社から出た「死者の奢り」の初版本は、買取価格が高いです。心理学の対象喪失についての専門書も読むのには興味深いものだと思います。