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火野葦平「糞尿譚」の人間感覚と大衆性

こんにちは。
海藤です。


今回は九州の久留米の同人雑誌「文学会議」に発表され、昭和十三年に第六回芥川賞を受賞した、火野葦平「糞尿譚」について書かせていただきたいと思います。この作品の受賞時に火野は戦地に出征していて、文藝春秋社から小林秀雄が派遣されて、杭州で受賞式が行われたのは有名な話です。


「糞尿譚」は小森彦太郎という、豪農から落ちぶれて糞尿汲取業者として人生の一発逆転を狙う男が主人公の小説です。彼は糞尿汲取人としてばかにされる屈辱に耐えながら、従業員を雇いトラックで糞尿汲取の仕事をする中で、同業者や市役所の職員などと関わっていきます。一発逆転の夢に協力者である赤瀬という有力者や、妨害をしてくる地元で幅をきかせている政党の人間などが介在してきて、ある種の生々しい人間ドラマが描かれているのです。そして、赤瀬の娘婿である阿部が彦太郎の会社の主任になってから雲行きが怪しくなり、結局彦太郎の糞尿汲取会社は阿部にのっとられてしまいます。その後、傷心の彼はトラックに乗って砂浜に市からの認定を得たうえでの糞尿の廃棄をしようとするのですが、反目し合っていた人間たちに妨害され辱めを受けます。ついに憤怒が限界に達した彦太郎は敵に向かって柄杓で糞尿をまきちらし、自分にも降りかかる糞尿の中で絶叫する、というのがラストです。


この小説において明白であるのは、糞尿というものが生身の人間感覚としての被虐と反骨の象徴になっているということでしょう。作中では地方行政や民政党といったものが関わる事業をめぐる利権が渦巻いていますが、そうした強権的なものに圧殺されそうになる庶民感情、つまり彦太郎のように純粋に人生を好転させたいと願う感情の苦悶が軸になっています。そうした中でばかにされ、蹂躙されているうちに沸騰してくる反骨精神というものは、権利が保証されずに暗渠を彷徨うような現代人心理にも起こり得るものです。人生の好転にもがくという心理は、初期段階で躓くことの多い現代社会においても、むしろ「糞尿譚」が発表された時と比べものにならないぐらいの重量感と陰鬱さを伴って現出しているのかも知れません。


そのようなことを勘案しても、「糞尿譚」は社会派小説というよりも、人間感覚の濃縮された人間哲学としての文学という感があります。改行の少ない饒舌体の文体の猥雑さが、あまりにも人間的な「業」の哲学を如実に表現しているともいえます。作中での多岐にわたる人間関係がまるで曼陀羅のようであり、「感情の臭い」とでもいうべきもので形成された社会構造のように感じられるのも肝心なところです。そして、作中の人間臭い折衝と、ラストの貶められた者の憤怒の爆発が、進歩的で肯定的なものとして捉えられたことは、昭和の戦前の古い時代におけるアクチュアリティだったということもいえるでしょう。そのようなエクリチュールがむしろ哀歓や抒情性として評価され、芥川賞受賞に至ったということなのかも知れません。


ラストシーンでの彦太郎の憤激によるカタルシスは、見方によっては日本人の伝統的な判官贔屓によるもの、ということもあるでしょう。追い詰められた弱者に寄り添う態度は、浅野内匠頭と赤穂浪士に対する国民感情に似ているともいえそうですし、最後の最後に溜飲を下げる日本的な感性なのかも知れません。しかし、そうした鬱積した感情の発露というものは、現代社会においてはどこか歪んだ形になってしまっている感があるのです。現代では、彦太郎のような「負けないぞ」という反骨の憤怒ではなく、憤怒が外界への攻撃や徹底した内向に変容するという特徴が看取されます。考えてみると、人間の精神や肉体の実相が極めて立体的でリアルだった昭和と比べて、平成の時代は電波によるコミュニケーションが空気であるかのように広がり、精神も肉体もどこか抽象的になり、憤懣が内向して電波のツールに向かうようになったようです。インターネットやスマホの普及、コミュニケーションツールの徹底したデジタル化というものが革新的であったのは否定はできないのですが。とはいえ、時代が進めば、ネット社会も練磨されてきて、それなりの健全な価値基準や尺度というものができてくるのでしょう。しかし、そうなっていく前から個人単位で熟慮勘考することは肝要だといえます。


火野葦平は戦時中に「麦と兵隊」で人気作家になり、戦後は追放指定を受け、追放解除の後は再び流行作家になりました。出世作である「糞尿譚」にしてもそうなのですが、「花と龍」などの火野の作品群は内容の面白さが純文学でありながら中間小説的です。「糞尿譚」という大衆的な色合いの濃い小説が芥川賞を受賞したのも、現在よりも純文学の表現の幅が広かった戦前ならではのことでしょう。火野は横光利一の「純粋小説論」を地で行ったような文筆活動をした、生命力の溢れる小説家でした。被虐者心理からのカタルシスというテーマの先駆ということと、ストーリーの面白さにおいて、「糞尿譚」は平成の大衆文学の隆盛とライトノベルやヤングアダルト小説にもつながっているといえるでしょう。


火野葦平「糞尿譚」は、各種の日本文学全集や講談社文芸文庫などで読むことができます。

2019年4月9日 本買取ダイアリー [RSS][XML]


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