船山馨「私の絵本」ー大衆的リリシズムの序曲ー
こんにちは。
海藤です。
今回は昭和の中間小説の大家である船山馨の初期作品であり、同人雑誌「創作」(のち「新創作」)に発表され「文芸」の同人雑誌推薦作候補となった、「私の絵本ー煤けた門標の話ー」という短編小説について書かせていただきたいと思います。この作品は船山馨の実存主義的な小説や、豊かな時代になってからの豊饒な中間小説の以前の、戦前における初期のリリシズム・詩情を重視した作品群の中の代表作です。先ず簡略に梗概を述べさせていただきます。
主人公の「私」は、学生生活の最後の夏期休暇を、先輩の紹介によって北海道のS市にある浅木農場で過ごすことになります。農場の隣りにあるのが格式高い西洋料理屋の翠月館で、「私」はそこの子供である翠という十一歳の少女と陵太という八歳の少年と懇意になります。S市に滞在中、「私」は翠月館の主人である矢野氏の知遇を得たり、その娘の翠の清楚な可愛らしさに心惹かれたり、矢野夫人のプライドの高さを知ったりと、いろいろと興味深い体験をするのです。その中で「私」には翠月館の美しい門標が心に残ります。休暇が終わって東京に帰ってからも、翠と陵太からは度々手紙が来ますが、「私」はなかなか返事が出せずにいました。その後、先輩からの手紙によって翠月館が火事で焼けてしまったことを知ります。矢野氏は「門標が」という妻の叫びによって、燃えさかる翠月館に向かっていき、負傷して後遺症が残ったということでした。年月が経ち「私」は社会人になり、仕事の用事でS市を再訪します。そして翠月館のその後を探し求めているうちに、品が落ちた小路にある店に入り、そこで二十歳の大人の女性になった翠と再会するのです。翠月館が焼けた後の生活でも、翠がひたむきに頑張っている様子が窺われて、「私」は彼女に名乗らないでいるうちに、壁にかかっているあの門標を見つけます。翠ならしっかりとやっていけるだろうと思い、「私」は雪の降る中を翠に見送られて店をあとにします。
この「私の絵本」からは、昭和の豊かな時代の中間小説の大家の根底にあった詩情と、ヒューマニズムと人間の温容を信じる気持ちが看取できます。そこには戦前の作品ながらも、昭和の時代に脈々と続いた人間性への讃仰があり、そう考えると、坂口安吾の作品なども人間侮蔑のようなものが描かれながらも、そこにはどこかヒューマンなものに対する信念が感じられるところがあります。ある意味、埴谷雄高や野間宏らの実存的・観念的な第一次戦後派作家の中にも、潜在的には人間の温容に基づいた精神への信頼と切望があったように思いますし、またそういう根っこがなければ、あのような堅牢な表現活動はできるものではありません。実存ということに付随していえば、ニーチェの狂躁的なアフォリズムも精神分析的にはある種の生への意志と執着のようであり、それは裏を返せば人間の生への信頼ということでもあります。これらのことは複層的でありながら、ヒューマニズム的な信念に収斂していくように思われるところが重要です。
船山馨は明治大学商学部を一学年で中退し、同人雑誌という媒体で文学活動を始め、二回芥川賞候補にもなっています。そうした初期作品の特徴がリリシズムとロマンなのですが、彼はのちに戦前の言論統制でロマンに逃げていたのだと述懐しているのです。戦後は流行作家になり、その反動でヒロポン依存になってしまい、以後は狂奔と雌伏の時期を過ごし、観念的な作風が強くなりました。その後、地方紙に連載された「石狩平野」で復活して以降は大衆向けのリリシズムと人間ドラマが強みになり、「放浪家族」「お登勢」「蘆火野」などの中間小説の代表作においては、詩情と人間性の渇仰が彼の中で再興していたように思います。それはポピュリズムとは別次元の、もっと高次のものであると考えられます。
「私の絵本」は翠月館の家族との交情と人間の温容への愛惜という点で、昭和・平成から令和まで続くであろう大衆的リリシズムの先鞭をつけた作品であるように思うのです。平成の時代は社会構造が複雑化して人間不信・人間侮蔑が拡幅した時代ながらも、メディア作品においてはやはりヒューマニズムを信じる気持ちが強く出ていました。つまり、デジタルに浸潤されながらも、根底には人間の温容を希求する精神があるということです。
「世界の中心で、愛をさけぶ」「いま、会いにゆきます」「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」「君の名は。」「アオハライド」などの映画やアニメには、殺伐とした時代の中にあっても、船山馨的な人間性を信じる詩情があります。その根っこには、「私の絵本」の中の「私」と翠の感動的な再会のような、人間性・抒情性に対する意志と信頼があるのだと考えられます。
いつの時代になっても、世の中が殺伐としても、そうした人々のリリシズムを信じる気持ちはずっと存在するのでしょう。船山馨が中間小説を通して浸透させた大衆的リリシズムを媒介とした、人々の人間性への意志と信念は、「私の絵本」の作中の焼けた翠月館から残った門標が象徴するもののように、令和の時代になっても続いていってほしいものです。
船山馨の作品群は、現在は古書で入手して読むことができます。専門書には川西政明「孤客・船山馨の人と文学」があります。