中山義秀「厚物咲」ー現代的な「片意地」の問題ー
こんにちは。
海藤です。
今回は昭和十三年に「文学界」に発表され、第七回芥川賞を受賞した、中山義秀「厚物咲」という短編小説について書かせていただきたいと思います。この作品は中山義秀の三十八歳の時の出世作ですが、先ず梗概を述べさせていただきます。
この小説は瀬谷と片野という二人の老人が主人公です。二人とも七十代であり、瀬谷は娘の嫁入りのための金を片野から借りたことがあり、片野は月の五の日に三度、元金より余分になった金を徴収して瀬谷の家でくつろいでいきます。片野は展覧会に出す見事な厚物咲の菊を作るのが趣味でした。二人は寺子屋式の学校で知り合ってからの六十年来の友達同士で、二人とも野心を抱いて上京して失敗した過去があります。そして、金鉱で一発当てようとして二人で全国の山々を探しまわったこともあり、片野が悪いブローカーの情婦に引っかかって金をとられたことまであるのです。その後、瀬谷は代書業に、片野は果樹園の仕事にとそれぞれの人生を歩むのでした。片野は極端な吝嗇家であり、病妻にろくなものを食べさせずに死なせて、三十代の後妻を迎えますがうまくいかずに出て行かれます。そして、入営して負傷し帰郷した息子も家を出て行ったのでした。その後片野は瀬谷の代書業の顧客である未亡人に恋をして、恋文を何通も出しますが、瀬谷が未亡人から預かったそれらを返すとヒステリーのように憤激します。その後は家に来なくなり、瀬谷が様子を見に片野の家に行くと、部屋の中には見事な厚物咲の菊の鉢があり、その上で片野は縊死していました。彼の残した厚物咲の菊は瀬谷によって展覧会に出品され、好事家や専門家からの圧倒的な評価を得たのです。瀬谷は片野の今までの人生や未亡人に焦がれ死にするという意志を貫いたことを思い、片意地を貫いた人生だったのだと思うのでした。そういう意地が片野を七十年生かしていたのだろうが、非情の片意地によって厚物咲の菊を咲かせるより、自然な野菊でいいから自分は妻子や孫に囲まれて人間らしい温かな生涯でいたいと、瀬谷は思います。しかし彼は永年の友達を亡くした孤独に沁みて、山路を下って行くのでした。
この作品が現代に投げかけるテーマは、高齢化社会における「生きがい」などの表層ではなく、もっと人生の根深い深層にあるものだと思います。その問題は、現代においては老人というより「それなりの」高齢になってから惹起するもののようです。森鴎外「阿部一族」に描かれるものは、理不尽に対して徹底的に抗い体制に刃向かって敗亡するという形での「意地」です。あるいは学生運動に世の中が震撼した「政治の季節」における、強固な信念による「意地」などもあります。いずれもある種の自己への確信に基づく熱情であるといえます。しかし中山義秀「厚物咲」に描かれる「片意地」の熱情は、「自我」という単位に固着したものであり、社会の中の一員としての意地や「世界内存在」としての意地とは違い、他者の感情を顧慮しない視野狭窄的な内向した「片意地」なのです。そして小説「厚物咲」においては、昭和の古き時代の永く生きた哀傷としての「片意地」でもあるのですが、それが令和を迎える時代に老年期よりも中年期特有の問題を炙り出すところが、時代の流れの痛痒感を感じさせます。
中山義秀は早稲田大学時代に文学に目覚め、大学卒業後は三重県津市で中学校の英語教師になりました。そして同人雑誌や「早稲田文学」に作品を発表するのですが、それは文学的不遇の時代でした。三十四歳で学校を退職して妻子を伴い上京し、その後妻を失うのですが、三十八歳の時にこの「厚物咲」で芥川賞を受賞しました。戦後は「咲庵」で野間文芸賞を受賞するなど歴史小説の分野で活躍した小説家でした。そのような作者の辛い境涯とそこからの人生の回春を反映したからこそ、「厚物咲」の作中では老年までの生々流転がある意味で熟成された「片意地」とともに描かれているといえるのです。しかし昭和の古き時代の作品であれ、作中の晩熟と未熟の狭間を彷徨う精神については、やはり現代的な問題を炙り出すものがあります。
バブル崩壊後の若年層に顕著になったものが、「自我に基づく志向性」を貫徹するという観念であり、それは形態は違えどある種の「片意地」であるともいえるでしょう。しかしそれが「可能性」という流動的なものに依拠するが故に、破綻をきたす例の方が圧倒的に多かったのではないでしょうか。「保証なき社会」の反動としての「自由意志」は、自己同一性と社会からの遊離を生み出し、その不安定感が高齢の引きこもりの問題の一因になっているようにも考えられます。そして、そうしたバブル崩壊後の日本人に多くなった「片意地」は、成熟と未熟の間を揺れ動く「ミドルエイジ・クライシス」(中年の危機)という現代的な問題も生み出しており、成熟から晩熟へと潔く傾斜していく姿勢は現代日本では難しくなりました。考えてみると、情報過多と若者礼賛の風潮が「厚物咲」の片野の人生のような「片意地」を拡大させ、より広義のものにしてしまっている感じがします。
様々なものが変に牢固としている時代だからこそ、時には古いものに触れるなどして、令和時代に向けてクールダウンすることも大事だと思います。そして、「厚物咲」の瀬谷老人の思いのように、厚物の菊を咲かせなくてもいいから温かな生涯を、と温順な態度でいることも良いのではないでしょうか。瀬谷老人の、「片意地」とは違う人生の有為転変に揺曳する生活態度は、何らかの道標になるのではないかと思います。