0120-871-355
★電話受付:平日 9時~18時

お電話

現在位置:

本多秋五「芸術・歴史・人間」のオプティミズム

こんにちは。
海藤です。


今回は趣向を変えて、戦後を代表する文芸評論家であり明治大学教授であった本多秋五の「芸術・歴史・人間」という初期の評論について書かせていただきたいと思います。この評論は、本多が平野謙・埴谷雄高・荒正人らと発刊した雑誌「近代文学」の昭和二十一年の創刊号に発表されたものです。本多秋五氏は私の大学院時代の先生の先生なので、私は孫弟子ということになるのだと思います。「芸術・歴史・人間」には終戦直後の本多の芸術観・人間観が端的に表現されており、文化と社会の連関について穿った見方がなされているのです。時代は終戦直後のものですが、高度経済成長期から平成・令和に至る社会の奔流に鑑みると、現代と照応する点が多々あります。


先ず芸術についてです。本多によると、芸術は芸術家の「魂の諸要求」なくしては存在せず、個性がある故に対象があり、自然科学や社会科学と違い古びてしまったりするものではなく、対象の相違ゆえに個々が唯一無二であるという性質のものとのことです。そして、トルストイなどの文豪に比肩し得るかという論議は正確な意味での判断が不可能であると述べています。しかし、こうした本多の論の後にやって来た高度経済成長期では、考えてみると文化・芸術の面で偶像崇拝と神話性が拡大したような感があります。その時代の日本には、銀幕のスターや著名人に対する拝跪性がありました。それはつまり、豊かさの浸透とともに形象としてのオリジナリティが神聖で濃厚なものに変化したということではないでしょうか。むしろバブル崩壊後と平成の大不況において、本多の言説が色彩を帯びてくるように思われます。つまり、そうした時期は先の展望が暗中模索の状態で索漠としているが故に、この評論が発表された昭和二十一年との共通項があるのです。バブル崩壊と失われた十年を皮切りに、偶像・英雄の観念は徐々に落魄していきました。以後、日本人の個々人が偶像崇拝に依存しない自己の独自性を模索するようになったのです。二十一世紀になってからの、テキストサイトやブログ、ツイッター、インスタグラム、動画配信などのツールは、世界の中の自己を鮮明化させる装置としての、形象としての自己表現であると考えられます。それはいうなれば、本多の述べた個性と対象における不可侵なオリジナリティと等価のものです。


そうした事象に対して、昭和のラビリンスのような世界が通過儀礼であったように感じられるのは皮肉なことです。しかし、閉塞状況の平成から令和に向かう時代は、未知数の価値判断を前にしています。先に述べた自己表現が、そのような中における「形象」であることによってこの本多秋五の評論と符合するのは、現代では「芸術」の論理・尺度が多様化していて、その分パーソナルなものになっているからなのです。そのうえで、本多がプロレタリア文学の旗手であった蔵原惟人の戦後の言説について述べていることを勘案すると、興味深いものがあります。蔵原が過度に戦中文学を批判し、過度にシビアな事物に立脚した文学を唱道しているのが謬見であることを、本多は示唆しています。しかし蔵原の「客観的な真実」「主観的な真実」という二項対立の文学的観念の言説については、可能性に含みを持たせているのです。そして更に本多は、時勢が困難になると外向が内向になり、幅のリアリズムが深さのリアリズムになると述べています。そのうえで作家の「生き闘い方」いかんにかかっていると附言しているところが肝心です。このことは時勢の行き詰まった現代において、自己表現という点で示唆に富んでおり、大きな意味を帯びているのではないでしょうか。


現代の社会情勢についての慢性的な不安感・閉塞感の渦中において、悠然と社会性を標榜することは先ず難しくなりました。だからこそ深層意識に深く潜っていく生活姿勢と、それに基づいたセンシティブな文化・エンタメが急速に拡大していったのでしょう。そのことは何か危うさを孕んでいながらも、どこか「私」の逞しさ、「個我」の強靭さを思わせるものがあります。こうした事象は、この「芸術・歴史・人間」という評論における、世の中が完全に幸福になってこそ文学は政治と相容れるのであり、それゆえの芸術至上主義だという本多の信念とも呼応しているのです。インスタグラムや動画配信やサブカル志向といった個々人の複数多岐な感性の吐露は、冷厳な社会や政治と手を携える可能性を加味しての挑戦のようであり、平成から令和に向けてのネオ・芸術至上主義の胎動のようでもあります。


更に本多が述べる、第一次世界大戦や満州事変などのそれぞれの時期の世代を、戦後は新時代に向けて役割分担した方がいいという論も興味深いです。現代日本においても、それぞれの世代で経験も違い内在律というべきものも違います。このことは合理的かつ向日的な思考であり、令和時代にも応用可能で歓心を得られるように思います。


本多秋五はこの「芸術・歴史・人間」の最後の部分で、自身が召集された戦争体験とその時に湧き上がった「人間を手段にしてはならない」という思念について述べています。そして生命の尊重・生命の貴重さについて念を押すように語っているのです。このような根元的な人間主義も含めて、「芸術・歴史・人間」における論説は、基底にあるものが平成・令和にも連結しているのではないでしょうか。現代日本の疲弊を懐抱するような本多秋五の論は向日的であり、トルストイの影響による理想主義と一種のオプティミズムを感じさせます。東京時代に私の指導教授の先生は、本多さんは穏やかないい人だったと話していました。温かな人柄と戦前に弾圧を受けたり不遇を味わった経験値が、この評論の厳然とした中に隠見されるオプティミズムにつながっていたのかも知れません。


本多秋五には「『戦争と平和』論」「『白樺』派の文学」「物語戦後文学史」などの作品があります。著作である文学についての専門書は現在は古書で入手できます。

2019年5月14日 本買取ダイアリー [RSS][XML]


本買取ブログTOP