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曽野綾子「遠来の客たち」と国家の同一性について

こんにちは。
海藤です。


今回は昭和二十九年に「三田文学」に発表された曽野綾子の二十三歳の時の初期作品であり、芥川賞候補作にもなった、「遠来の客たち」という小説について書かせていただきたいと思います。


この小説は戦後間もない頃の進駐軍に接収された箱根のホテルが舞台で、そこで働く波子という十九歳の少女が主人公です。彼女と同じ案内所で働く順ちゃん、順ちゃんに恋する未亡人の木部さん、元海軍大尉の坂口さんといった日本人たちにホテルで暮らす老軍医大尉、隊長、若い軍曹が絡んでユーモラスでアイロニカルな群像劇が展開されていきます。波子は経験値の少ない少女にしてはニヒリスティックであり、そのことは占領下の日本ではかえって大人の方が肝が据わらなくて、若年層の方が旧来の価値体系の崩壊を甘受していたことを物語っているようです。彼女は若い柔軟性でもって、日米の間に横たわる倨傲と諦念の錯綜する情緒的な問題に昂ぶりを抑えてドライに対峙していきます。米軍の人間たちとの交流は基本的には調和的に描かれているようです。しかし、戦果に胚胎する日米の人間関係におけるある種のコンプレックスに対する、波子の少女なりの心理分析が象徴するものは、サンフランシスコ平和条約の発効後も日本人の対米意識に根強く残って現在に至っているといえるでしょう。


波子が観光バスの客たちに曽我兄弟の墓を紹介した時に、外国人たちが「カタキウチ」という言葉に色めき立ったことで彼女が「真珠湾」「広島」を想起したり、車を前に停車して観光バスを妨害した米軍の隊長の行為や態度があまりにも「アメリカ的」であると思い感情が昂ぶったりしたのは、アメリカイズムに基づく高邁な威圧が流入した当時の日本の国民的な動揺ということでもあるのでしょう。それは敗戦以前の日本の国家的同一性とメンタルの足場が通用しなくなり、退路を断たれたという実存的な崩壊感覚だったのではないでしょうか。


敗戦を機に日本は国家としての思想の軸をリニューアルしたのか、進駐軍の教示によって国家的価値観の流動性を会得したのか、それは定かではありません。ただ独立後の日本は、基盤となる思想がジャポニズムに傾いたり、アメリカイズムや効率的な合理主義や新自由主義に傾いたりしていて、国家やそれを扱うマスメディアのスタンスとして柔軟性があるということなのでしょうが、時代の趨勢というよりはアメリカを中心にした「体制」や内外のポピュリズムに靡いて舵を切っているような印象があるのです。国家やジャーナリズムの即応性としてはいいのですが、それが一時の人心を得るための刹那的な処世術であっては、長いスパンで見た時の深みがないのです。


「遠来の客たち」に描かれていたものはアメリカ的ダイナミズムへの違和感や勝者と敗者の論理だけではなく、作中の波子の表現した日本人としての「含羞」の問題でもあったのです。それはアメリカイズムを咀嚼してからの日本の同一性にとって、原点というよりは生具的偏向といった意味で思想の羅針盤となるものです。「含羞」というものは個人にとどまるように思われますが、内外で吹き荒れる煩雑な価値観と対峙する時にグローバルな意味でも有益です。「含羞」とは偏狭なものを見極める洞察のことでもあり、ある程度距離をとって対象を点検するということでもあります。実体の不明瞭なグローバリズムの渦中で都合よく色目を使っていくのではなく、性急にならず長期的視野で、あるものは実装し、あるものは捨象してといった価値体系の調和的弁別が国家や個々の国民の同一性に資すると思います。「調和的」ということでいうと、曽野綾子「遠来の客たち」が発表された時期から日本が経てきた歴史を考えた時に、保守とリベラルが信条は違えど同じ磁場に立脚しているという共通分母が機能していた時代に、国家の同一性がイメージできていた感があります。


占領下の日本がアメリカとの政治的・精神的な折衝の中で得てきたもの、つまり若き日の曽野綾子が描いた世界観が剔抉するものは、二十一世紀になってから漂流している日本の、日本人としての同一性の不透明さだと考えられます。その問題のヒントとなるのは、時流に対して「含羞」という批評的な透徹したものを持つことであり、それはつまり内外の趨勢に対する観照的態度を持つということです。その上で国家や国民の深奥にあるものについて熟慮するのです。時勢に乗って度を失うのではなく、このような「内省的グローバリズム」によって社会の問題に向き合っていくことが、日本の国家的・国民的な同一性のイマジネーションに一役買うのではないでしょうか。

2019年5月16日 本買取ダイアリー [RSS][XML]


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