集英社ギャラリー世界の文学19(ラテンアメリカ)を読んで
こんにちは。店長新井です。
いつだったか「集英社ギャラリー世界の文学」シリーズの何巻かをアマゾンで探している際に、19巻の「ラテンアメリカ編」を見つけました。
収録作品を見るとボルヘスとガルシア・マルケス以外は読んだことがなかったのと、もともとラテンアメリカの小説に興味があったので購入しました。
ラテンアメリカ文学といっても誰のどういう作品があるのかわからないという状態でしたので、目次を読んでもさっぱりなんのことやら。
ですので一番わかりそうな巻末の「ラテンアメリカ文学史年表」から読み始めてみました。
まずは巻末の「文学史年表」を読んでみます
巻末の「ラテンアメリカ文学史年表」というページですが、はじまりは1569年からで、「ラテンアメリカの文学」と「世界の文学」、「社会の動き」の三行が比較されて書かれています。
例えば「ラテンアメリカの文学」の1569年にはエルシージャの「ラ・アラウカーナ」が出版され、「世界の文学」の1580年にはモンテーニュの「随想録」が刊行されている…そんなことが書かれています。
1900年以前の「世界の文学」のほうは有名どころが羅列されているのでほぼほぼわかるのですが、「ラテンアメリカの文学」のほうは誰一人としてわかりません(^_^;)。これは私の無知も理由にあるわけですが、それと合わせてやはり世界は西洋文学圏にある、または西洋文学圏の言説以外で語ることができない状況であるということもいえると思います。
そして読み進めてみると、1923年にやっとボルヘスの「ブエノスアイレスの熱狂」が出てきます。突然出てくるラテンアメリカ文学の英雄に少し戸惑いますが、その戸惑いを見透かしたかのように「解説」では、西洋文学ではその系譜があり、その比較の中でそれぞれの作品を語ることができるがラテンアメリカ文学の系譜としてのボルヘスという文脈は細くつなげにくい…というようなことが書かれています。
もちろん「ラテンアメリカ」というくくりさえ乱暴といえば乱暴だし、ボルヘスのような怪物に西洋もラテンアメリカも関係ないような気もしますが、とはいえラテンアメリカ文学を西洋文学圏以外の系譜としてはつなげにくい側面もあるようです。
考えてみれば日本文学も十返舎一九のことなんか頭にものぼらず突然夏目漱石が出てきたような感じですし(こちらもただ単に私の知識不足で大変申し訳ありません(^_^;))、日本人youtuberの系譜なんかも興味はありますが調べるのが難しそうですし、そういった細い糸でつながれた系譜をたどることの難しさみたいなものはどの分野でもあるのかもしれません。
もちろん私としてはラテンアメリカ文学の系譜にはあまり興味はなく、本書のラテンアメリカ小説をこれでもかと読ませる構成に馴染んでいくうちに、こちらもなんとなくその雰囲気が伝わってきて読み終わった後には「ああこういうのがラテンアメリカ的なんだろうな」と勝手に想像できるようになっていました。
ボルヘス以外を頭から読んでみる
最初の300ページはボルヘスの作品だったのでそれらは飛ばして、アストゥリアスから読み始めてみます。
「大統領閣下」、「ブルジョア社会」で目を丸くして、「赤い唇」で込み入った人間関係にヤキモキしながら、「族長の秋」はこの歳になっても理解しづらいということが再認識できたし(海藤さんは絶賛していた)、バルガス=リョサは初めて読みました。
長編はどれもがそれぞれに別の味わいがある作品で、よく言われる独裁政権による圧政や、現実と空想の境目がはっきりしない構成や、少しきつめのセクシャルな描写など、それらを総合したあの便利な言葉である「マジックリアリズム」というにふさわしい作品群でした。
このラテン文学作品とその解説が乱暴に詰め込まれた本書から立ち上る熱気は、不思議とラテンアメリカ文学の全貌を空想させてくれます。
全体を読んで
とにかくこれでラテンアメリカ小説のとっかかりができた感じです。あとは本書で知った気になる作家の本を読んでいこうと思いました。とはいえ長編作品は全て気になる作家たちだったので長期戦になりそうです。
本書はラテンアメリカ作品とその解説が雑多に詰まったエントリーとしてはとてもいい本だと思いますし、本書を読めば確実にマジックリアリズムの空気が吸えます。世には「ラテンアメリカ文学選集(現代企画室、全15巻)」や「ラテンアメリカの文学(集英社、全18巻)」のような大変なものも出ているようですので、そこまで本格的になる前に、まずは本書で軽く肩慣らしをしてみるのもいいのではないでしょうか。
私個人としましては、古本屋である特権(買取)も利用しつつ読んでいきたいと思いますので、ラテンアメリカ文学作品の買取りもお待ちしております!