小山田浩子「穴」を読んで
こんにちは。
海藤です。
今回は2014年に芥川賞を受賞した、小山田浩子の「穴」という小説について書きたいと思います。内容はというと、夫の転勤で派遣社員の仕事を辞めて夫の田舎に引っ越してきた松浦あさひという女性が、コンビニに行く途中に謎の黒い獣と出会い、それを追いかけているうちに土手にあった穴に落ちてしまい、その穴から出てきてから、自分を取り巻く世界や人間関係が奇妙に様変わりして、異界のような様相を呈してくるというものです。
結末の部分はネタバレになるのでここには書きませんが、あさひが田舎に引っ越してからの家の大家であるマイペースな姑や、いつも延々と庭の水撒きをしている義祖父や、分かり合えているようで分かり合えていない、いつもスマホをいじってばかりいる夫などに取り巻かれる独特で奇妙な人間関係が異界に変化してからの、嫁や家族という概念についての問題提起と、存在を取り巻く状況が抱えている不安定さというものがこの作品の肝心な部分になっているようです。一歩間違えればそこは異界という世界観は、泉鏡花の「高野聖」などに代表されるように、日本文学においても、あるいは世界的に見ても古くからあったものであり、決して目新しいものではないのですが、それが極めて現代的な日本文学の俎上に乗せられた時に、新時代の文学的な切り口の幅の広さも相まって、いかようにも日常性に引き寄せられ、いかようにも拡大解釈のできる懐の深い作品になっているのです。ここでは臆断は避けますが、穴から出てきて周りの人たちの様相が奇妙に変化してから、主人公のあさひがやたらと「お嫁さん」と定義されるようになったことからは、人間の足場自体が非常にふわっとしたものであり、きっかけさえあればあっという間に極端に傾きやすいという問題提起のようなものが匂ってきます。この作品の全体の雰囲気に言えることですが、実存主義に影響を受けたかつての日本文学とは決定的に違い、裏に教条的なものが潜んでいるのではなく、日常のふとした瓦解をきっかけに、問題そのものがファジーな感じで匂ってくる感じがするのです。この匂ってくるという感覚が非常に現代的な部分です。
作者自身にそういう教養はあるのかもしれませんが、決して哲学分野の託宣のような描き方をしないことが、現代作家たちの大きな特徴であるようです。それは現代における情報の拡大とともに個人個人の抱える事情が千差万別になってきて、作家たちの特質も細分化されてきて、殊更教条的なものを上に据えるような必要がなくなったということなのかもしれません。
私はかつて「異界」という言葉を作ったとされる先生のゼミで、その言葉は「決して魑魅魍魎が跳梁跋扈するようなおどろおどろしいものではなく、日常性の瓦解から来る非常にファジーな面での異界」という概念だったと刷り込まれた記憶があります。そう考えてみれば、異界という観念が非常に現代的な肌合いを帯びた概念であるということで、まさにこの小山田浩子の「穴」に描かれる、灰色の空間に投げ込まれたような感覚と合致するのです。そして現実空間と異質な空間との断絶というものはほとんどなく、非常に紙一重のものであるということをこの小説から思わせられます。
小山田浩子さんは織田作之助賞を受賞していることからも分かる通り、非常に才気煥発な作風の作家さんでもあるようです。この「穴」という芥川賞受賞作もスピード感のある饒舌体の文体で描かれていて、読んでいるうちにあれよあれよという間に神秘不可思議な異界に引きずり込まれていきます。あさひを取り巻く世界が変化した後に、子供たちから先生と呼ばれていたコンビニで出会った中年の男が、物置に引きこもっていた自分の義理の兄だということになってしまうのですが、おぼろげな存在であるこの義兄が語る家族制度、ひいては存在そのものに対する疑問は、機関銃のように繰り出される啖呵も相まって面白いです。表面的なようで深いような、まとまりがあるようなないような義兄のそれらのおしゃべりは、現代文学が教条的なものではないがゆえの、表層を撫でているようで核心をついているようなむず痒さを感じさせます。
作品の特質にしても盛り込まれているテーマにしても、はっきりこれといって断定できない雑多なものを孕んでいるということなのでしょう。この場合の雑多というのは、一義的な解釈を拒むような多元的なものということであり、田舎に引っ越して専業主婦として生活を始めたあさひが感じる、救いようのない退屈さと緩慢に流れていく時間と、穴から出てきた後の胸がざわめくようなわけのわからない刺激との対比を取り上げてみても、百人百様の視点や捉え方があるように思われます。穴を見るために義兄と一緒に行った土手で、子供たちが次々と湧き出すように出てくる部分はこの作品の中の圧巻だと言えますが、これも様々な解釈を受け入れているようです。
そしてこの作品の重要な部分である黒い獣という存在は、一体何なのでしょうか。椎名麟三の「懲役人の告発」の中にも首のない黒い犬が出てきますが、一読するとこれは実存主義的な意味合いを帯びているものだということは簡単に分かってしまいます。現代文学が教条的な性質があまりなく、どちらかというと雑駁なものでもあるということで、小山田浩子「穴」に出てくる黒い獣は、一概に何か特定の観念の象徴として見てしまうと、このファジーな世界の術中にはまってしまうようなものを孕んでいます。
そういうことを自分なりにいろいろと考えながら読んでいましたが、ストーリー展開も面白い作品でした。