0120-871-355
★電話受付:平日 9時~18時

お電話

現在位置:

椎名麟三の軸 1

siinarinzo191113


こんにちは。
海藤です。


ここ最近「椎名麟三全集」を通して椎名麟三の一連の小説や評論を読む機会がありました。椎名麟三と言えば第一次戦後派作家の一人として有名ですが、どちらかと言うと野間宏や武田泰淳のようなスケールの広がりは持ち合わせておらず、梅崎春生のような卑近な庶民性とも乖離しているという点で、独特な位置を占めている作家です。戦後間もない頃は存在主義などと言われていましたが、椎名麟三はそうしたいわゆる実存主義を標榜した作家の一人であり、初期の「深夜の酒宴」「重き流れのなかに」「深尾正治の手記」の中には痛ましいまでに人間存在の深淵を抉るようなものが感じられます。こうした作風の背景にあるものは戦時中のこれでもかと言わんばかりの人間性の破壊であり、戦後の荒廃による人間存在への徹底的な疑いだったのであろうと思います。


人間の根本的なものを疑い、存在の不安にもがいているのか懐いているのかそれさえも分からないぐらいの、出口のない懊悩が椎名麟三の初期作品には鋭く描かれているのです。しかしそうした自らの根本をえぐるような実存的な苦しみに出口がなかったということは、椎名麟三が思想的に行き詰まってしまい、キリスト教の洗礼を受けることによってある程度危機を脱したということが物語っています。彼に低めながらもある種の安定をもたらしてくれたものが、思想ではなく神だったというのは何か形而上学的なアイロニズムを感じさせますが、そのような実存と自己洞察の有限性は、現代の令和の社会と照らし合わせた時に非常に示唆に富んでいるような思いがします。かつて私は現代が自意識の時代であるということを書きましたが、そうした自己への執着あるいは恋着といったものの極北が、決してキルケゴールの言うような形而上学的な悟入に至るわけではないということを椎名麟三の文学は物語っているようなのです。椎名は人間が「本当は」ということをいくら考えても詮無きことであり、「本当」という観念は神という絶対者に委ねるしかないということを評論の中で繰り返し書いています。人間存在という磁場において、こうした椎名の考えが発展であったのか後退であったのかは議論が分かれるところです。しかし、椎名麟三にとっての神という観念を、生きていく上での抽象的なイマジネーションとしての「軸」という風に考えることはできます。それは古代哲学で言うところの「イデア」のようなものであり、もっと発展させると思想とは別次元のものなのでしょう。そうした思想との高下の問題を超越したようなものが、現代社会に蔓延する鬱屈した自意識の問題について何かのヒントになるのではないかと思うのです。


>>「椎名麟三の軸 2」へ

2019年11月13日 本買取ダイアリー [RSS][XML]


本買取ブログTOP