マルローのように戦うことについて 2
ヨーロッパにおいては、第一次大戦後に心が傷つき、拠り所や社会の軸を失った人々が混迷し彷徨している時代がありました。その頃のヨーロッパ社会が、目先の価値に依存して希望を未来に棚上げし、自己韜晦する若い世代で溢れていたということは現代日本のカオスと相通じるものがあります。当時のヨーロッパ、特にフランスの疲弊は文学者たちの営為によって形象化されていきました。若い頃にニーチェの「超人」思想に影響を受けたドリュ・ラ・ロシェルは復員してからの虚無をベースに「奇妙な旅」などの一連の作品を書きましたが、その中に描かれる自己韜晦には、取り縋るところを求める彷徨の精神がありました。彼自身、自分の保守主義を理想主義で上書きしたいと切望していたのですが、やがてその思いがファシズムに傾き、占領下のフランスで対独協力者となったことで訴追されるという悲運を味わわなければなりませんでした。モンテルランはプライドの高いニヒリストでありながら、やはりファシズムに協力的になり、物事の良否は等価であり均衡しているという自己防衛的な思想で混迷していき、年老いてから自ら命を絶ちました。その一方でサルトルやモーリアックが形而上学的なリアリズムで世の中を席巻していったのは皮肉なことです。そうした文学者としての身の処し方に関しては、アンドレ・マルローの方法論が独特です。若き日に「西欧の誘惑」という作品において東洋的思索に接近した彼は、植民地主義批判、国民党への入党、共産主義への接近、政権への参画というように徹底してアクティビティを貫いていきました。小説「征服者」の中には時代性とともにニヒリズムとモチベーショナルなものとの混淆が描かれており、ドリュ・ラ・ロシェルやモンテルランのような退嬰的なものは感じられません。そしてマルローに関して定説となっているのは、彼が政治や革命を一義的な目的としていたのではなく、人間の絶対的な条件である「不条理」と戦う手段と考えていたということです。時代の疲弊とともにニーチェのニヒリズムを自分なりに歪曲させていったドリュ・ラ・ロシェルと違い、マルローは思想の上で確固とした「生への意志」を持っていたと言えるでしょう。
高度経済成長期、バブル期、そして平成の時代が終焉した日本にとっても、マルロー的な「生への意志」というものは重要になってきます。現代の日本は外面の豊饒さのゆえに「不条理」ということに対するアレルギー反応が強くなっているような感じがしますが、本来人間は「死」という絶対条件を前にして立ち回らなければならない矛盾を孕んだ存在なのですから、理に適うようにと声高に叫ぶことは本質的なものに背馳しています。時代に飲まれてニヒリズムに埋没することをしなかったマルローのように、「不条理」を超克する対象としてではなく、生涯戦い続けるべき対象として捉えることが肝要になってくるでしょう。換言すれば、時代や世相に風穴を開けるべくもがくのではなく、個々人の内面が「不条理」と対峙する包容力を持ち、共時性とアクティビティとの混淆という形での「生への意志」が求められているのではないかと思います。