本谷有希子「異類婚姻譚」 1
こんにちは。
海藤です。
本谷有希子の「異類婚姻譚」は専業主婦をしている女性が主人公で、最近自分の顔が旦那の顔に似てきたと気づくところから物語は始まります。彼女の夫は家では脱力してばかりいるだらだらした男性で、彼の顔が気を抜いた時に崩れてしまうことを主人公は発見します。同じマンションに住む中高年の女性や、主人公の弟とその彼女などと関わる日々の中で、もはや旦那が人間なのかどうかさえも危うくなってくるような状況が描かれ、主人公の顔が旦那のように崩れ始めてくるなど、夫婦関係とは何なのかといったことや、相手の原理・原則に取り込まれてしまう中での自分の本来の姿形を保つことの危機というテーマが寓話のように表現されている中編小説です。
この作品が言わんとしていることに対して、特殊なものを感じることはありませんでしたが、「異類婚姻譚」の根幹を成しているものは、夫婦関係ひいては人間関係全体が孕んでいる、お互いに食うか食われるかということであると感じました。作中の主人公は今までも自分は相手に自分を食わせる人間だったと述懐していますが、弟の彼女が語った、蛇がお互いの尻尾を食いあって球体になってしまうという話に象徴されているように、互いの原理・原則を開けっぴろげにする夫婦関係において、本来的な自己というものの空洞化は存在するのかもしれません。そうした時に自分が人の形を成さなくなってくるという寓意は、家族や他人との関係においても応用されるものでもあります。換言すれば、この「異類婚姻譚」は対他存在としての自分が固定化されていた自意識としての自分を侵食してしまうことが非常に多いという問題をシンボリックに描いた作品だと言えるでしょう。通読すると、主人公のサンちゃんという専業主婦の立ち居振る舞いはどこか虚無的でもあります。かなり周りの人間関係やその時の状況に流されている感じがしますし、部屋中に粗相をする飼い猫を捨てようとする中高年女性の友人や、マイペースな弟とその彼女に対して、決して流れに棹さすことなく立ち回るサンちゃんの態度は、先に述べた自己の空洞化と、もっと進んで自己というものが確固とした形をなすことが難しいということを象徴しているようです。次第に定まった形を持たない妖怪のような様相を呈してくるだらだらした夫に対しても、その理不尽な振る舞いを非難することもなく淡々としていて、非常に従順です。夫と顔が似てきたようだというさりげない描写から始まって、夫の顔が崩れ始めたのを端緒に夫婦が溶け合ったようになって、自分の原理・原則を、あるいは自我を喪失していく主人公のサンちゃんのプロセスは、読み進めるうちにホラーのような香りが漂ってきて凄味があります。