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滝口悠生「死んでいない者」 1

こんにちは。
海藤です。


今回は滝口悠生「死んでいない者」について書きたいと思います。簡略に内容を説明すると、ある老人が亡くなり、通夜葬式のために三十人ほどの親族が集まり、そのコミュニケーションとともに彼ら親族たちが抱えるそれぞれの人生の事情が浮かび上がってきて、人間群像劇とでも言うべきものが展開される通夜の一夜のことを描いた作品です。


現代文学においては、短い時間内に様々な出来事が起こり、過去と現在が交錯して人間の生が浮き彫りになるという作品が流行りのようですが、そうした作品が人生全体を広くカバーしているような甘酸っぱさを喚起するということもあり、この滝口悠生「死んでいない者」も様々な人間たちの想いが交錯する通夜の一晩の群像劇を通して、死生観や人間が抱える根源的な苦悩を抉り出して、ラストでいわく言い難いカタルシスへと導いていく秀作だと言えます。この作品を通読して感じるのは、作中で通夜に集まった親族たちが抱えているそれぞれの特殊な事情が決して小説向きに誇張されたものではないということです。この作品の全体を通して、人生そのものの思い通りにいかないことに対する親族たちの嘆息が描かれていますが、ある程度年齢を重ねて人生の酸いも甘いも噛み分けたような人であれば、そうした嘆息から発展した根源的な苦悩というものは、経験値によって直感的に理解できるものであると思います。


昭和の古い時代の晦渋な文学に触れて、そこに盛り込まれている哲学に触れた人なら、現代文学を読んだ時に、それらが古い文学にあったような思想的な構造やロジックを超越したところで表現を戦わせているという事に気づきます。こうした文学的営為で構成されている現代文学というものは、明治・大正の文学まで遡っても類例を見ないのではないかと思われます。古い時代のそれと比べた時に、現代文学は平易でポップな文体で描かれている割りには出口のないような根源的な苦悩に対して果敢に立ち向かい、しかしそのアプローチが勇敢でもないかわりに逡巡しているのでもなく、おおよそ答えの出ないであろう問いに対して抜き差しならない戦いを感覚的な表現でもって繰り広げているという印象を受けるのです。滝口悠生「死んでいない者」にしても、人々がぼんやりと抱く根源的な不安の果てにカタルシスらしきものは描かれるのですが、それは哲学者や評論家のような論理でなされたものではなく、人間存在のぎりぎりのところの答えである、なんでもかんでもとにかく生きるしかないという、存在にまとわりつく空気のようなものに帰着するのです。



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2020年5月27日 本買取ダイアリー [RSS][XML]


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